臆病者の好奇心

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ニューヨークの思い出のグランドセントラルのフードコートと6番街のドーナッツと。(その1)

前回の続き。 
前回の記事はこちら
 
私がニューヨークと聞いて思い浮かべるのはフードコートとドーナッツ。ニューヨークというと、自由の女神ロックフェラーセンター、エンパイアビル、夜景を思い浮かべる人が多いと思う。だが、私がニューヨークで思い浮かべるのはそれらではない。ニューヨークに初めて行ったのは10年前なのだが、その際に行ったグランドセントラルのフードコートと6番街のドーナッツの印象が強く残っており、それらが私にとってのニューヨーク。今回はグランドセントラルのフードコートに行った時のことを書く。

ブライアントパークを出て(前回の続き) 

ブライアントパークの隣のニューヨーク市立図書館を出てから、グランドセントラルターミナルに向かった。2区画くらいしか離れていないのでかなり近い。

ランドセントラル 

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ここは10年前にも来てとても記憶に残っていた。当時初めて見た際は駅の大きさも人の多さも、駅の内装の豪華さにも何から何にも圧倒されていた。ヨーロッパなどに行けば駅舎に歴史のある建物が使われていることも多いが、当時はアメリカにもヨーロッパにも行ったことがなかったので、駅舎に歴史を感じさせる建物が使われていることにまず驚いた。日本だと東京駅くらいしか見受けられないが、東京駅も中に入ってしまえば、一気に現代的というか無機質になってしまうのであまり歴史を感じることがない。だが、ここの駅は長い歴史があることを感じさせる空気感を漂わせていた。建物の外装・内装だけでなく、建物の空間の空気に少し重みがあるという感じだろうか。当時の私には本当に新鮮で、圧倒されつつも目をキラキラさせながら周囲をキョロキョロしていたと思う。ちなみに調べてみると1903年に建設されたようだ。100年以上前の建物が現役の駅舎として利用されているのは本当にすごいと思う。地震が多い日本にはなかなかない景色ですよね。

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10年ぶりに同じ場所を訪ねてみると、10年前に見た景色とほぼ同じだった。同じ場所で写真を撮っているとしみじみ、「またここに来れたんだなあ」と嬉しさがこみ上げた。この駅にきて感じ取る空気感などは10年前と変わらなく、少しホッとする。日本でもそうだが年月が経っても景色や感じ取る空気感が変わらない場所にくるとホッとする。自分が知ってる場所が変わらずにあるということは、私にとって励みにもなる気がする。
10年前と変わらなかったのは私も同じだった。写真を至るところで撮っていたが、如何せん人通りが多いので一人で「ゆっくり写真を撮りたいけど、周囲の邪魔になってしまう・・・」と葛藤し、邪魔にならないかとビクビクしながら撮っていたのは10年前と変わらなかった。人一倍周囲を気にしすぎる自意識過剰さや臆病さは相変わらずだなと一人苦笑いした。
 

ランドセントラルのフードコート

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ランドセントラルの中にはスーパーやショップ、フードコートがあり、ここの中だけでも時間はかなり潰せる。グランドセントラルの中にあるオイスターバーはかなり有名のようなので行ってみるといいかもしれない。私は牡蠣が苦手なので行かなかったが、牡蠣が好きだったら行きたかった。食事を安く済ませたいのなら、スーパで買って公園で食べるのもいいかもしれない。また、フードコートにはシェイクシャックやホットドックなど、多種多様なお店がある。昼時には混雑しているかもしれないが、それ以外の時間は比較的空いていて穴場だと思う。
 
ここのフードコートは私にとって思い出の場所で、ニューヨークで思い浮かべる場所の一つだ。10年前に1度来たのだがその時の記憶が鮮明に残っていた。というものの、このフードコートに何の特徴もない。至って普通のフードコートである。
今思えば当時の私にとってここが一番落ち着く場所だったのだろう。初めて来たアメリカがニューヨークなのもあり、当時は今以上に終始ビクビクしていた。様々な人種の人がいる環境に行くのが初めてだったし、何も知らなかったのでとにかく人が怖く感じた。特に何をされた訳でもないのに、臆病な私は知らない事や人に対して壁を作ってしまう。それは今でも変わらないのだが、いつまで経っても猫が逆毛を立てている状態のように他人に対して壁を作ってしまい、人やその国を知る機会を失ってしまう。私の短所の一つだなと今でも思う。当時はその傾向がもっと強く、ニューヨークという街は煌びやかで素敵な街だけど人が怖いという心理状態だった。初めて見る光景に心を踊らせながらも、一方で強い緊張状態でもあった。そんな状態で、たまたま訪れたグランドセントラルのフードコートは私にとって外にいながらやっとリラックスできる場所だったんだと思う。そんなに広くないのだが、こじんまりとしていて日本にもありそうなフードコートだった。それもリラックスできる理由の一つだったのかもしれない。
今思い出せる限りだと、当時ここ以外でリラックスできた場所が思い浮かばない。10年ぶりのニューヨークで私が一番印象に残り、好きだった場所がブライアントパークなどの公園だった。このフードコートと公園に共通しているのが、私にとってリラックスできる場所ということだ。私にとって旅の中で印象に残る場所というのは自分がリラックスできるかであることに気がついた。日常でも旅でも、私にとって大事なことはリラックスがあるということが今回の旅でわかった気がする。
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10年ぶりに来たフードコートで私はホットドックを食べた。10年前も同じ場所で同じお店で買ったホットドックを食べていた。私の記憶に残っていた光景と変わらず、とても落ち着く場所だった。周囲の人も駅の中にいると思えないくらいのんびりしているように見える。私の隣りに座っていた大学生の男の子は熱心に勉強していたし、その男の子に隣りに座っていた中年男性が話しかけていた。英語があまりできないので何を話しているのかよくわからなかったが、「専攻はなに?」とか、「学生時代にたくさん勉強しろよー」といったことをにこやかに話していた。
そんな光景を目にしながら私は時差ボケの頭でぼーっとしていた。10年前に来た場所に一人で来れたことへの喜びが湧いてきた。10年前の自分にはとてもじゃないけどできなかったことだ。自分で航空券とホテルの予約をして、地図で調べてここまでくる。それを一人でできただけで私はとても満足だった。自分の成長を感じられたからだ。私はここでエネルギーを補給して、また観光に出かけた。
 
年月が経ってから同じ場所にくるということはかなり大きな意味があると思う。自分の記憶と実際目にする光景が変わっていれば、長い月日が経っていることを感じ取ることができるし、変わっていなければホッとする。またその光景を見てる自分の状況の変化も敏感に感じ取れる気がする。この光景を見ていた自分と今の自分は何が違うんだろうと考えるのが私は好きだし、日常生活に追われていると気がつけないことを旅は教えてくれる気がする。

 セントパトリック大聖堂

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ランドセントラルを出て、私はセントパトリック大聖堂に行った。5番街にあり、ロックフェラーセンターのすぐ向かいにある。周囲は高級なお店が立ち並ぶ中にゴシック様式の建物のセントパトリック大聖堂が出現する。ロックフェラーセンターがすぐ近くにあるのもあり、通りは人通りがかなり多い。が、建物の中に入ると天井にあるステンドグラスと教会の厳かな空気に包まれる。一気に心も落ち着く。椅子に座ってステンドグラスを見上げてぼーっとする時間は至福のひとときだった。

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