臆病者の好奇心

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ニューヨークの思い出のグランドセントラルのフードコートと6番街のドーナッツと。(その2)

前回の続き。
前回の記事はこちら
 
 
前回の記事で、私のニューヨークのイメージはグランドセントラルのフードコートと6番街のドーナッツと書いた。今回はその思い出の6番街に行ったことを書いていく。
 

 ロックフェラーセンター

セントパトリック大聖堂を出てから向かいにあるロックフェラーセンターへ。

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ロックフェラーセンターの前では世界中の国旗が掲げられている。写真の金の像がある場所はこの時はカフェになっていたが、クリスマスシーズンにはスケートリンクになっているんだそう。いつかクリスマスにニューヨークに行ってみたい....
 
 

6番街

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ロックフェラーセンターを通り抜けて6番街へ。6番街のヒルトンホテルの近くが私が来たかった場所。なぜかというと、10年前に来た時の記憶が鮮明に残っていたから。
 
 

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10年前、私はちょうどこの写真に写っている場所にあった売店でドーナッツを買った。この写真に写っているのはホットドッグなどを売ってる売店だったが、10年前にも私が行った時はドーナッツや菓子パンなどを売ってる売店だった。ドーナッツも1つ150円程でかなり安かった記憶がある。正直買った時は全く期待していなかったのだが、食べてみるととても美味しく驚いた記憶がある。日本のコンビニで買うドーナッツより美味しかったなぁ。
 
当時もニューヨークでステーキなどを食べたのだが、どれも思ったほどは美味しくないなと思っていた。こんなに高いのにこのクオリティなのか...とずっと思っていた。そんな時に出会ったのが6番街の売店のドーナッツ。期待してなかった分、美味しさに感動した。当時の旅の中で一番美味しかったのがそのドーナッツだった。ステーキも結構いいお店に行ったのだが、たかだか150円程度のドーナッツの方が私にとっては美味しく感じられ、10年経っても覚えていたほど。
 
ニューヨークとかだと、ちゃんとしたカフェなどでドーナッツを買うより、返って外にある売店で安く買った方がコスパが良いのかもしれない。ドーナッツは分からないが、ニューヨークには至る所にフードトラックがあり、有名店はかなりの行列が出来ているようだ。ニューヨークでコスパを求めるのなら、外の売店やフードトラックもありかもしれない。
 
 
当時はその売店でドーナッツとコーヒーを買って近くのベンチに座って通勤中のビジネスマンを眺めていた。ニューヨークのビジネス街が当時の私にはとても新鮮で、ただ眺めているだけでも本当に楽しかった。
 
ビジネスマンはスタイルがいい人が多く、スーツが似合っていた。あぁ、スーツってやっぱりスタイルがいい人が着る服なんだなーなんて思っていた。また、片手にスタバなどのコーヒーショップのコーヒーカップを持っている人が多かったのだが、ベンティサイズを持っていてもしっくりくる人が多かった。日本人が持っても、異様にデカく感じるベンティサイズも、スタイルのいい人が持つとしっくりくるというか、サマになるなーと思っていた。
 
この時の光景を10年経っても覚えている。ドーナッツが美味しかったのもあるし、ニューヨークのビジネス街が新鮮だったのもあったのだろう。何の変哲も無いビジネス街の一角が、私にとって印象深い思い出の地になっていた。
 
 
10年ぶりに訪れて、まずはドーナッツを買おうと思ったのだが、残念ながらドーナッツを売ってる売店が見当たらなかった。だけれど、10年前に見た光景と同じ光景が私の目の前に広がっていた。ここでも一人で来れた喜びを噛みしめることができた。
 
しばらく近くのベンチに座って眺めていたが、当時ほどのトキメキは感じなかった。正直、日本の通勤とかなり似た光景だった。普段日本で見ている光景の延長という感覚だったからか、日本とそこまで変わらないなと思った。
 
また、10年の間で色んな国に行ったのもあり、海外への憧れはかなり薄れていた。(もちろん今でも憧れはあることはあるが、10年前の何もかもがカッコいい!という感覚はなくなった。)
 
 当時の私は海外は日本よりカッコよく見えるから、海外の方が素敵だなんて思っていた。テレビだか何の影響からか分からないが、無意識に日本よりアメリカやヨーロッパなどの国の方が優れていると思い込んでいた。今もよくテレビで外国人が日本をどう思うのかを取り上げるテレビ番組もあるが、未だに日本人の大衆心理として日本への劣等感があるのかもしれない。
 
当時のわたしは、何も海外のことを知らなかったのに、先入観で勝手に憧れを抱いていた。流石に10年の間で色んな国に観光に行ったことで、海外の実情が少しだけわかったし、逆に日本の良さも沢山感じた。基本的に日本より治安が良くない国の方が多いし、日常的にスリも多い。色んな危険を警戒しながら歩かなければならないのはとても大変だったし、住んでる人も苦労が多いだろう。ぼーっとしながら歩けたり、電車で寝れる国なんて世界ではほんの一部だろう。それだけ日本がかなり平和で恵まれた国なんだということを10年かけて学んだ。それもあって、底抜けの憧れというものはかなり薄れていった。
 
 
また、最近よく思うことだが結局日本にいても海外にいてもどちらも大変なこともあるし、どちらも良い点がある。どちらが良いか悪いかではなく、見方によってどちらも良いという視点に変換できるようになった。
 
少し前までは海外に住みたいとか留学したいと思っていたが、必ずしもそれらが必要という訳ではなく、自分の目的に合った手段としてそれらが必要であると判断すれば選択すればいいと思う。要は、留学が正義!とか海外移住が正義!という訳ではなく、自分のやりたいことの手段として、あくまで選択肢として捉えられればいい。留学や移住をして何をしたいかが見えていればそれは自分にとって正しい選択になるだろう。うまくいく行かないは別として。
 
 
全ては自分の心持ち次第だと最近すごく思う。もちろん環境もとても大切なのだが、それよりも私は自分の心持ちの方が大切だと思う。日本に居続けても自分が望む環境を作り出そうと思えば作れる。というより、海外に行くより遥かに容易だ。
 
例えば、私は少し前まで英語が話せるようになりたいから海外留学をしたいと思っていた。英語が話せるようになるには留学しか手段がないと思い込んでいたのだ。ただ、実際に英語の勉強を始めて知ったのは、日本でも十分に英語習得の環境は整っているし、日本だけで英語を習得した人も沢山いるという事実だ。日本だけでもできることはたくさんある。
 
そのことに気がついてから、日本への変な劣等感も薄れてきたし、日本と外国を少しだけ冷静に見れるようになった気がする。それが、10年ぶりに久しぶりにニューヨークへ来た私の感じ方に表れたのを感じた。旅の醍醐味の一つは、過去の自分との感じ方を比較できる所にもあるということも同時に感じられた。
 
 続く