臆病者の好奇心

海外一人旅したり、考えたり、勉強したり。

MENU

挑戦を繰り返すと、自分の短所を少しだけ受け入れられるようになった話

皆さんは今年は何に挑戦しましたか?

わたしは、ブログにも書いてるニューヨークへのひとり旅と英会話です。今は英語の習得を目指して日々勉強しています✏️

 

f:id:kei_cafeandtravel:20181225181701j:image

(昔に行ったドイツのノイシュヴァンシュタイン城です🇩🇪)

 

何かに挑戦することはとてもいいことだとよく言われますよね。自分の経験値が増えるし、やってみないと何もわからない。

 

私個人としては、挑戦することの意義は自分をよく知れることだと思います。自分の何を具体的に知るかというと、自分の実力と自分の変わらない点についてです。

 

前者の自分の実力を知るということであれば、やってみて初めて自分が現状でどれくらいできるかを知ることが出来ます。

 

やる前は簡単そうに見えても、やってみたら案外難しくてできなかったり、逆に難しいと思ってたら簡単にできたなど。そのやりたいことに対して、その時の自分の実力がどれくらいなのかを知ることができます。これは実際にやってみないとわからないことで、挑戦して初めて可能になると思います。

 

わたしの英語の例であげれば、英会話のレッスンで英語を話そうとしても最初は簡単な英語すらスラスラ出てきません。読むことは何とかできますが、会話となると中学レベルの英語もスラスラ出てきませんでした。やる前は、私の頭の中では中学レベルの英語くらいならスラスラ出てくるはずと思っていましたが、実際にやってみると簡単な挨拶の返しですら怪しい。自分が想像してた以上にわたしは話せないということを初めて知ったし、レッスンを録音して聞いてみると、発音もイントネーションもひどい。

 

私の英語の実力は、私が想像してたよりもかなり低いということを知ったのと同時に、自分に何が出来ていないのかも分かりました。

 

まずは中学レベルの文法。疑問文のDoやDoesすらも最初は間違えていたほどなので、中学レベルの文法の復習が必要なことがわかりました。今は毎日少しずつ中学レベルの文法の復習をしています。


また、発音に関しても発音の練習が必要だと感じ、子供向けのフォニックスもやっています。

 

このように、自分の実力を把握できて初めて具体的な計画や戦略を立てることができます。自分に何が足りないのかもわかるからです。挑戦しないと何も始まらないということは、やらないと自分の現状が分からないだけでなく、成功や目標達成に向けて自分に何が必要かも把握できないということでもあります。

 

しかし、私はそれ以上に挑戦することの意義は、自分の変わらない点が分かるようになることにあると思います。自分の変わらない点、つまりは個性ということです。挑戦することで、より自分の個性を把握できるようになると私は考えます。

 

挑戦をすることで以前の自分では出来なかったことができるようになれば、それは自分の弱点の克服または自分の長所を伸ばすことができるようになったと言う意味になります。つまり、自分の何らかの点で変われたことに自分で気がつける状態です。

 

その一方で、何度挑戦をしても自分の変わらない面に直面することがあります。変わらないというより、変えられない所という意味合いの方が大きいかも知れません。自分では変えたいと思って努力しようとしても変えられない所が浮き彫りになってくるのです。

 

私の場合、その変わらない点の1つは臆病さ。ずっとこの臆病さは欠点で直したいと思い続けてきました。ニューヨークへひとり旅をすれば、臆病さがだいぶマシになって、もっと度胸がつくと思っていました。しかし実際は、ニューヨークから帰ってきても臆病のままだし、度胸もあまり以前と変わっていないように感じます。ニューヨークに戻ってからも小さいながらに幾つか挑戦をしましたが、毎回自分の臆病さに直面する気がします。

 

というよりもむしろ、挑戦を重ねることで自分の臆病さがより鮮明に見えてきます。どんなに頑張っても自分の臆病さが顔を出す。どこにいても何をしても私は臆病でした。私にとってその臆病さは自分の短所であり、克服したい点でした。だけど、何をどう頑張っても毎回自分の臆病さに直面するのです。もちろん、毎回ものすごく嫌になります、自分が。


だって挑戦することで、自分の弱さに直面するんですもん。

 

しかし、何度も挑戦を繰り返して自分の臆病さと向かい合ってみると、次第に諦めの境地になりました。今の自分が可能な行動、挑戦では臆病さはすぐに克服できないということを感じ取りました。

 

そして、「あぁ、私のこの臆病さは今の自分の努力ではすぐには治らないものだ。むしろ、変わらないこの臆病さこそ私の個性なのではないか」と思うようになりました。

 

そのことに気がついたのは、ニューヨークのひとり旅から帰ってきてからでした。実際、ニューヨークは行ってる時は終始ビビっていましたが、旅が終わった後に残った充実感から、私が楽しむには臆病かどうかは関係ないということに気がついたのです。たしかに私は臆病であり、その臆病さは私の個性の一つになっているけれど、それでも旅は楽しめました。そのことへの気づきは大きかったです。

 

たしかに臆病であることで、色んな所で損をしています。しかし、私にとって楽しいこととは、大勢の人との交流やひっきりなしの冒険ではなく、旅で日常から離れて自分が居心地いいと思う場所を見つけて、そこでのんびりして自分を見つめることでした。そこに臆病かどうかはあまり関係ないなと。今まで臆病さは私がやりたいことや挑戦に邪魔になると思い込んでいましたが、そこは大して重要ではないということに気がつきました。

 

もちろん、その居心地のいい場所を見つけるためには、自分で確かめに行かないといけません。行く際に臆病さが邪魔をして、行かないという選択を取ってしまうことがよくあるので、お気に入りの場所の探索という点では壁になります。あと、行動するかしないかの選択の際に臆病さが立ちはだかります。

 

ですが、臆病さが邪魔をする瞬間にだけ気をつけていけば、あとは自分が楽しい時間を過ごせるのです。それに気がつくようになってからは、臆病さが大きな壁から小さな壁になりました。

 

自分は臆病な面がある人間なんだと受け入れることができるようになりました。諦めに近い境地です。

 

しかし、臆病だから仕方ないと言うのではなく、「臆病なのはわかった。じゃあそれを踏まえたうえでどうする?」と考えられるようになったのです。

 

どうすれば臆病な自分でももっと自分が楽しめるように行動できるのか?どこを工夫すれば少しでも臆病さを感じずに済むのか?を考えるようになりました。

 

自分の嫌な部分を受け入れられないと、その部分を避けようとするようになるし、無理矢理にも直そうとしようとしてしまうと思います。

 

しかし、そんな思考では自分で自分を苦しめるだけになってしまいます。

 

行動することで、自分の変わらない面が見えてきて、その変わらない面はどう頑張っても変えられないということがわかるようになると、諦めの境地に入り、「それを踏まえてじゃあどうする?」という思考になります。


悟った時点で初めて自分を受け入れる準備ができるということ。そこからは、その短所をどう変えていこうかというより、じゃあその短所を踏まえて自分のやり方をどう短所に合わせる?という思考に変化することができます。

 

そうするとどんどん自分に合ったやり方を模索できるようになる。ネガティブな私にとってはとても建設的な思考になったと思います。

 

そのうえで試行錯誤することで、自分に合ったやり方や選択を洗練していくことができるのかなと。

 

行動は、ただ自分を進歩させるだけでなく、よりリアルな自分を自分で受け入れるためにも重要になるのではないでしょうか。

 

行動は成功するためというよりも、成功失敗関係なく、自分をより知るため、自分がもっと楽しい人生を送れるように自分なりのやり方を模索することに意味があると考えます。